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しうせん・・記念日ですね。。
「わーい!やったー!!マンガが描けるぞー!」
って喜んだそうですよ、マンガの神様は。。
ちなみにウチの祖母は226事件をうっすら記憶し、東京大空襲を生き延びたツワモノ。
空襲までは東京の下町に住んでいて、その後、今の横浜というか川崎というかビミョーなこの土地に住んだらしい。
ばーちゃんが住んでた下町には当時では珍しい鉄筋のアパート「ヤナギシマアパート」ってのがあって、空襲の時には鉄筋だから燃えないだろうってことで多くの人が逃げ込んだらしいケド・・・・その結果は押して知るべし。。
当時12、3歳だったばーちゃんは一番下の妹を背負い、空襲の下町を逃げ惑ったそうです。
火の付いた雨戸が熱風に煽られてぱったんぱったん直立姿勢で通りを歩いて(?)来るだとか、防火用水の水をかぶってエイヤと火の燃え盛る通りを抜けただとか・・・この九死に一生ババアめ。。
逃げ込もうとした先の小学校は、もう人でいっぱいで、本来なら入れる状態ではなかったそうなんですが、たまたま門のところに知り合いがいたために、少しだけ門を開けて滑り込ませてくれたそうです。
もし、そこに知り合いさんがいなければ、ばーちゃんも戦災孤児になることやったんねー。。
そんでもって焼け野原になった東京であーだこーだこれから食事の方を思うと書かない方が良きものを目の当たりにしつつ、ばーちゃんは家族とも落ち合い、今の横浜のお家にくるのでした。
九死に一生をへたばーちゃんでしたが、やはりショックではあったらしく、それから一ヶ月は口がきけなかったそうです。不謹慎ですがマンガのようだというのが正直なところ。いまどきマンガじゃベタすぎて使わないか。。
こっちの家に来てからは、なんでも外資系(?)の会社の結構な上役さんを下宿させていたつてでいろんな情報が聞けたり、食料も周りよがいろいろ手に入ったりで、そこまで食には苦労しなかったそうです。
戦後、結婚してからも、じーさんはボイラーマンだった関係で進駐軍の仕事して、そのつてであーのこーのだとか・・・。
そんなばーちゃんも今年で幾つだか・・・(知らんよ)
持病は糖尿病ですが元気にやってます。
最近は韓国ドラマに夢中で、ヨン様よりイ・ビョンホンのが好きだそうです。
韓国にも一度行きたいと言っておりました。
四の五の言わずに行っちまえ。
今回は終戦の日っつーことで、ばーちゃんから聞いた話を覚えてる範囲で書いてみました。
ちなみに、アタシからはどういうつながりだか知らん人に、日露センソーだかで、横穴掘って敵の攻撃しのいでたらその部隊全滅だかしちゃって、次の部隊がきて、「良くぞここを守りぬいた。」っつーことで表彰だかなんだかされちゃった人なんかもいるそうです。
横穴・・・・、そりゃ必死だったんだろうけど、シュールだ。。。。