マンガ・特撮ヒーローの倫理学―モノ語り帝国「日本」の群像

マンガ・特撮ヒーローの倫理学―モノ語り帝国「日本」の群像

学校から借りたことをすっかり忘れていた本。
空想科学読本とかそういう類の本ではない。

だからといって別段専門書というワケではなく、マンガをネタに面白おかしく書いたのではなく、マンガ(というかアニメだった)・特撮を倫理学で読む!みたいな?いや・・・違う。。。

例えばウルトラマン仮面ライダーを日本の仏教史に喩えて作品の構造(テーマ?)の違いを解いてみたり、
どろろキカイダーを対比して手塚と石ノ森両者の「こころ」と「からだ」の関係の捉え方の違いをあぶりだしたり。。。

 言ってることはなかなか興味深いです。
問題は、取り扱っている作品に対して愛と尊敬の念がないこと。
大体仮面ライダーの中の人(違う)の名前を「本郷健」とか言ってるし!!
「本郷猛」だっつーの!

キカイダーを「物語の関係度は『どろろ』に遥かに及ばないにせよ」とか言うし!(←コレは私のひいき目?でも『キカイダー』は石森作品の中では完成度は充分高くないですか??)

その他も『どろろ』にしてもなんにしても作品の内容への言及が愛がないのよねー。
別に褒めなきゃだめとか言ってるんじゃなくて、言い方が冷たい。
いちいち「アンタは何様のつもりなの?」ってこっちが思っちゃうような言い方するの。



うー・・・、でもそれなりに評論ないような興味深かったです。


以下、この日記書きながら同時進行で考えた事。わりと理解不明


手塚は「こころ」は普遍性を持ち、「からだ」は心の入れ物に過ぎないって考えてそれに疑問も持たなかったのさー。
だから『火の鳥』よ。
 でも石ノ森は「本当にさうだらうか?」*1って、「こころ」と「からだ」に切っても切れなさを感じたんねよ。。
 切っても切れない関係なのにその両者に齟齬があるための悲劇ってのが009、仮面ライダーキカイダーらの悲しみでつか?

うーん、この文章を読んで理解していただけるかは甚だ疑問てんこ盛りですが、恋乳は今すごーく納得したのさ。
 「そーかー、「こころ」と「からだ」に対する捕らえ方の違いが、方やの代表作『火の鳥』で方や『009』になるわけねー!」って。

*1:分かると思うが「神々との戦い編」の008のセリフ