‐障害者福祉とお茶の間民主主義

 昨年度の障害者福祉論に引き続き、今年度も(と、いっても春のみだが、)障害関連の講義を取るつもりの恋乳です。

 福祉というのは実は結構スリリングでアバンギャルドな問題を含んでいるんですよ!
日本で福祉ってゆーと「社会の足手まといに対してなんかしてあげること」っぽい感じがしますが、福祉は本来なら国民みんな対象なんですよ〜!!
「福祉=弱者のためのもの」ってのは間違ってます。。

どーでもいいか。(おい・・・)

 障害者福祉に話をもどすとね。
お茶の間民主主義では、障害のレベルがある一定までは
「障害のある人も社会に出られるようにバリアフリーにしなきゃね〜」
とか言うのに、ある一定を超えると
「面倒見てやってるんだからおとなしくしてろ」
になってる気がする(笑)
 これはあくまでお茶の間の話だから、福祉政策とか福祉の現場にいる人はもっとちゃんとした認識をしているでしょうが・・・。。。

 あと、身体障害と知的障害とで扱いの温度差があるよな。。。
恋乳も詳しくないのであまり突っ込んだことはいえませんが。
 いつだかラジオ番組で「知的障害者による犯罪」とかいうテーマで知的障害者のなんたらで活動してる先生(どこの人だか忘れました)をゲストにお話を伺うのがあったんだよ。
ちょうど、知的障害の人が陸橋の上から子ども落としちゃった事件があったとき辺りだったのね。

で、先生は
「知的障害だからといって犯罪を犯しやすいということではありません。」
って言ってるのに、
司会(?)男性は、
「そういった障害の人が犯罪を犯す率というのはどのくらいなんですか?」
「小さなお子さんを持っている親というのはやはり心配だと思うのですが、危険性は?」
とか何度も聞いてくるワケよ。。。

あ〜・・・話・・・聞こえた???

「障害者」というマイノリティと「犯罪」という逸脱が組み合わされるから印象として残りやすいだけであってさ、パーセンテージみたら絶対健常者のが犯罪者多いんだかんね!!
 これは「外国人の犯罪」と同じ構造ですかね?

 話が流れてしまいましたが、この風当たりの強さはなんなの?!って思ったって話なんです。

 お茶の間の民主主義はこわいです。。。



‐障害無き障害者

 これに関連して。
サイボーグという存在を「障害なき障害者」として捕らえると、また新たな萌えや問題、視点・論点が生まれるんじゃないかしら?
と、思った次第です。

 だって、彼らは改造されたむしろ健常者よりも優れた身体能力を有しますが、逆に改造された部分を取ってしまうと障害者になってしまいますよね?
 ジェットなんかがイメージしやすいかな。あとフランソワーズも。

 うーん、彼らはどのような自己イメージを持っているんだろうね?
フランとかは視力や聴力を失うことになっても改造されたものを取り払いたいと願いそうだけど、ジェットなんかは「改造されていようと俺は俺」みたいな感じで、あんまり気にしなそう・・・・。。